今までのコンサートの記録

第105回コンサート
五明佳廉 ヴァイオリン リサイタル
KAREN GOMYO Violin Recital
ピアノ: 加藤洋之
Piano: HIROSHI KATO
2003 .6. 7(土)
Sat.,Jun.7.2003
プログラム
J.S.バッハ: ヴァイオリンソナタ 第3番 ホ長調 BWV1016
ブラームス: ヴァイオリンソナタ 第3番 ニ短調 作品108
メシアン: 主題と変奏
メシアン:「世の終わりの四重奏曲」より “イエズスの不滅性への頌歌
ラヴェル: ツィガーヌ
コンサート寸評

弱冠21歳、今聴いてみたい若手ヴァイオリニストの一人だった五明佳廉さんがASOに初登場。熱演を披露した。今宵のプログラムはバッハのヴァイオリンソナタNo .3、ブラームスのヴァイオリンソナタNo.3、後半がメシアンの主題と変奏と、「世の終わりの四重奏曲」より“イエズスの不滅性への頌歌”、ラヴェルのツィガーヌ。特にメシアンは奏者のたっての希望により、曲目を変更して組み入れた曲目。ちょうど前半はドイツ、後半はフランス物というプログラムビルディングとなった。たしかに世評どおり、抜群のテクニックを持ちながら、それをひけらかすタイプではない。また積極的に感情移入をするプレーヤーというのもそのとおりだった。しかし想い描いていたタイプとは多少異なる印象を持った。自分の感じるところを素直に表現するという点では、ブラームスやラヴェルは彼女向きとも思えるが、実際のところ相手の方が難物で、奥が深い。真っ向勝負の爽快感はあるが、客観的な作品としての全体像を展開する域にはもう少し。その点現在こよなく愛しているというメシアンは思い入れもよく伝わってきて説得力があった。「主題と変奏」はメシアン二十代の作品で、奏者の年齢とも近く、響き合うものがあったのだろう。また「世の終わりの−」は捕らわれてドイツの収容所の中で書かれたものだけに、“想い”を音に乗せ易かったのかも知れない。一音一音の意味というものもよく感じられて、何を表出したいのか明確にわかる。この日のプログラムでは秀逸だった。五明さんは基本的に自分の感覚や感情を大切にするタイプと思われる。ある意味で、ジュリアード的と言うか、感情表現がまず第一というスタンス。ジュリアードカルテットのレッスンなどを見ても、第一に音楽的表出を要求する。勿論音程や音色ができていてのことだが、たとえそこに傷があっても、まず目指すものは音楽表現に対する欲求。そこに音楽の根源的な立脚点をおく。こういうことは習ってすぐにできるというものではないので、稀有な資質といえる。だからこれから多くの経験を積んでいく事によって、いろいろと変質する奏者ではないかと思う。その意味ではどう変貌していくのか、とても楽しみな演奏家だと思う。演奏後「ASOのような小さなスペースの音楽会はどうですか?」と尋ねたら、すぐさま「コージー」(居心地が良い)と答えた。「お客様の顔が見えるし、反応もすぐわかる。」と言い切るあたり、大器の資質も備えているか。

(2003.6.7 松井孝夫)