小品を集めた、ホームコンサートのような、楽しいコンサートが開かれた。ピアノも入れず、ヴァイオリン2本だけの曲というのは、数はきっと多くあるのだろう。ただそれは誰かのためにとか、練習用に、またある場所での興のために作られたものというのが、多いのではないか。それだけに、難しいことは言わず、気軽に楽しめるものが多い。
本日のコンサートもそういう意味でホームコンサート的な雰囲気のうちに楽しい時が過ごせた。しかし演奏家は名うての名手、漆原姉妹である。ずば抜けた技量と高い音楽性で料理されるのだから、美味しくないわけがない。楽しくもまた密度の濃い演奏会となった。曲目は、ハイドンの2つのVnのためのデュエットニ長調(弦楽四重奏Op.17No.6)、武満の2つのVnのための「揺れる鏡の夜明け」、ヴィニアフスキーのエチュード・カプリスNo.2、レーガーの古風な様式による二重奏No.1、ルクレールの2つのVnのためのソナタNo.3、バルトークの2つのVnのための44の二重奏からNo.26、28、 36、37、38、シュポアーの二重奏ニ短調Op.39-7。
今回は作曲家のことを強く感じながら興味深く聴けた。大体ヴァイオリンの二重奏となると、一方が旋律を奏でる時は、もう一方がリズムや伴奏にまわり、ひとくさり終るとところを代えて、伴奏からメロディへと駆け上がる式の構成が多い。確かに同じメロディを違う弾き手で聴くのはこの種のお楽しみ。それにけちをつけようとは毛頭思わないが、皆同じとなると、もう少し違うものないの?と思ってしまう。その点抜群のオリジナリティーを感じさせるのは、ハイドンと武満だった。バルトークも彼独特の世界ではあったが、彼としては小品(もちろんそういうつもりで作っているのだろうけれど)という感じ。こういうコンサートでは、普段お目にかかれない曲に出会えるのが楽しい。そしてまさに曲と対面し、更に作曲家への興味も深まる気がする。とりわけ感心したのは武満の作品。彼の曲は多くの場合、鳴っている音以外の時間が特に大切に感じる。音と音の間の時間−大体空調の音が聞こえる。その時間の意味がたぶん奏者によって異なるとは思うが、そのわずかな時間とは人間の思考や感情のもたらす人間の時間だと思う。その大切な時間が次なる不協の世界とまた出遭っていく。その純人間的な時間と非日常の音との鬩ぎ合いによって、一つの音空間を作っていく。そして十分な感情的動揺を引き起こす。しかも彼の旋律は哀しくも美しい。こんな小品にももの凄いエネルギーをほとばしらせて曲を生み出す作業に心熱くなる感じすらする。もちろん名表現者あってのことではあるが。
そういう意味でまたいつもと違った楽しみ方のできたコンサートでもあった。お二人の名器の音を、間近で聴ける喜びも加わって。