今までのコンサートの記録

第135回コンサート
野原 みどり ピアノリサイタル「シューベルト・ソナタの世界」
MIDORI NOHARA,PIANO
2008年2月3日(日)
Sun.,Feb.3.2008
プログラム
フランツ・シューベルト
: ピアノソナタ 第13番 イ長調 D.664
: ピアノソナタ 第14番 イ短調 D.784
: ピアノソナタ 第21番 変ロ長調 D.960
コンサート寸評

ASO第135回 「野原みどりピアノリサイタル」

リストやラベル等で、その確実なテクニックと音楽性で聴衆を魅了する野原さんのピアノ。今回はオールシューベルトプログラム。
曲目は、13番イ長調(D.664)、14番イ短調(D.784)、21番変ロ長調(D.960)のソナタ。実は私は野原さんのピアノをソロで聴くのは久しぶりだったが、一曲目の音が鳴り始めてすぐ、「ああ、野原さんの音だ」と思った。ピアニストは楽器を選べるわけではないので、その人の音というのは変な話だが、タッチや音のつなぎ方、音の粒の際立 たせ方やペダリングなど、その人が作る音、その人が持っている音は存在する。それは多分、その音楽家の個性や音楽観であり、分かりやすく言ってしまえば、好みでもあるだろう。

とにかく透明感の高い、メリハリの利いた音が鳴り渡った。最初ちょっと戸惑いを覚えたのも、その音のせいかもしれない。解釈や好みの問題でもあるが、個人的にシューベルトの音楽の魅力は、瞬間のきらめきと彷徨いにあるように思っている。構成力や組み立てで迫るというよりは、その楽想のはかなくも美しい詩情や、深く苦しむが、露骨には示さない想いなど、その彷徨いやたゆとう心にその魅力を感じるのである。その意味では明確でない部分や迷いをどう表現するかにもかかってくる。しかし、聴いているうちに、いや待てよ、野原さんはシューベルトの新しい面を探しているのかもしれないと思ってきた。我々聴衆は音楽を聴く時に、演奏家の再現する音で聴く。演奏家は音ではなく、楽譜から読み取る作業をやる。当たり前の話だが、我々は誰かのものを基準にしていつも聴いている。でもいつも心はリセットした状態で受け入れてみたい。もっと作曲家の違う部分を見逃していないか。納得するかどうかは個人の問題ではあるが、ベートーヴェンがいつも組み立ての濃い音楽ばかり書いていたわけではない。たあいのない美しい旋律の曲も書くのである。

演奏の後で、野原さんは、このシューベルトはシリーズでやってみたいと仰っていた。どういうシューベルト像を打ち立てるのか、どう変貌するかも含め、是非聴いてみ たいと思う。ご本人は、シューベルトはまだ早いかな、などとおっしゃっていたが、作曲家の年を考えたらそんなことはないように思う

(2008.2.3 松井孝夫)