アートスペース・オーの第118回は、かのイ・ムジチのコンサートマスターとして名を馳せた、フェデリコ・アゴスティーニをトップに擁する新星クァルテットの登場。多くの人が、まずもって、快刀乱麻の切れ味と、あのマスクさながらの美音を放って、劇的なコンサートとなると思って足を運んだに違いない。私もそうだった。しかし、実際はまったく正反対。誰かが目立つというより、如何にアンサンブルを緻密にやるかという、その一点を追究するかのような演奏だった。プリマがいて、劇的なコロラトゥーラを歌い上げるというのではなく、虚飾を削ぎ落とし、如何に作曲家の音楽を表現するかということを目指しての演奏を心がけているように思われた。アゴスティーニってそういう人だったんだと、改めて感じた次第。イ・ムジチとアミ―チのいずれが本当?
ところでプログラムは、シューベルトの弦楽四重奏曲第12番、モーツァルトの弦楽四重奏曲ト長調K387、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第16番へ長調。シューベルトの 12番は、詩の断片のような、物憂い、はかなさをたたえた美しい曲で、極力弓を浮かせた軽いボーイングで、全体を透明に表現しようとしていた。前半の二曲目、モーツァルトの4楽章あたりから、その緻密な絡み合いがにわかに濃くなってきて面白かった。
後半のベートーヴェンは、やや重い弓使いで、とりわけ3楽章などは、神秘性、或いは雲のような世界を表出すべく、弓使いにもかなり気を配りながら音と音楽を作っていこうとしているのが良くわかる。
このカルテットが他のカルテットと違うのは、ファーストヴァイオリンが音楽を引っ張っていくというのではないというところだ。とりわけセカンドヴァイオリン・チェロが音の引渡しに細かい配慮をしながら、しっかりとした土台を作っている。その上にファーストヴァイオリンが乗っかるという形だ。だから四つの楽器がぶつかり合って、音楽を劇的に作り上げていくというのではなく、四つの楽器で一つのものを共同して作り上げようとするタイプ。そして、四つの楽器の音色が極めて均質で、聴き易い。これはイメージする音色と音楽が四人とも近いからだろう。 アンコールではラベルとハイドンをやったので、演奏後、オーナーの大橋さんがお話していたように、種々様々な曲を一通りやったという感じの演奏会だった。このカルテットの骨組みは、見たところチェロの原田さんによるところ大だと思う。今は先ずもって、いかに緻密なアンサンブルをするかというところに眼目がありそうだ。まだ立ち上がったばかりのカルテットだが、何をテーマにして自分たちの主張を作っていくかということが、今後の方向性を決めそうだ。その意味でも是非また聴きたいと思うカルテットだ。
11月12日(土)に、「アミーチ・クァルテット」を聴きました。奏者との距離は4m程の正面、聴衆は約100名。
ハイドン、モーツアルト、シューベルト、ベートーヴェン、ラヴェルと String Quartetの主だったレパートリーを聴いたことになった。