今までのコンサートの記録

第113回コンサート
吉野直子(ハープ)ウィーンとの語らい ヴォルフガング・シュルツ(Fl) ミラン・トゥルコヴィッチ(Fg)
NAOKO YOSHINO/WOLFGANG SCHULZ/MILAN TURKOVIC Trio
05.1.16(土)
Sun.,Jan.16.2005
プログラム
F.J. ハイドン: トリオ ト長調 Hob. XV:15
L.V. ベートーヴェン: 二重奏曲 ハ長調 WoO. 27-1
F. ドップラー / A. ザマラ: カジルダ幻想曲
G.P. テレマン: ソナタ ヘ短調
W.A. モーツァルト: ソナタ ハ長調 Kv. 14
C. サン=サーンス: ファゴット・ソナタ 作品168
M.ラヴェル(C. サルツェード編曲): ソナチネ
コンサート寸評

“完璧"ということばは、吉野さんのためにあるのではないか、とさえ思う。とにかく素晴らしい才能や個性にストレートに出会えるというのが芸術の、とりわけ音楽の特色だと思う。そして、いろいろな個性やタレントがあるけれど、吉野さんほどすべてに良いバランスで持っていて、なお自然であるという演奏家は本当に稀だと思う。そのようなスーパースターと、ウィーンを代表するフルートのシュルツさん・ファッゴットのトゥルコヴィッチさんのトリオだから、感想を述べるべくもない。かまえて聴くコンサートではなく、豊な音楽にどっぷりと身を委ねていられるハッピーなコンサートだった。ハープとフルート、ファゴットという組み合わせは、ほとんどその為の曲はないので、それなりのアレンジがされているが、一曲一曲がそのために出来たかのような、極自然な演奏で楽しませてくれた。

 曲目はハイドンのトリオト長調(Fg・Fl・Hp)、ベートーヴェンの二重奏ハ長調(Fg・Fl)、ドップラー/ザラマのカジルダ幻想曲(Fl・ Hp)、後半がテレマンのソナタへ短調(Fg・Hp)、モーツァルトのソナタハ長調、サン=サーンスのファゴットソナタ(Fg・Hp)、最後にラベル/サルツェード編曲のソナチネ(Fg・Fl・Hp)。

 最初のハイドンから、この日の音楽会の全体が予感できた。ハイドンは秀演には良く出くわすが、好演にぶつかることは難しい。ハイドンの曲は、一般的に演奏自体はやりやすいものが多い。けれども、聴く者の心を引き付ける魅力ある演奏に遭遇するのはなかなか難しい。ともかく吉野さんのテンポ感、しかも一音一音の弾む躍動感、何処を切っても溢れ出るみずみずしさは抜群。この感じがないと古典の曲は面白味が失せる。そのうえに名手の管楽器の音色が溶け込んでくる。演奏会の出だしでは管楽器は響きにくいことはあっても、そこは名手、音楽が噛み合って、とてもハッピーな感じに浸らされた。

 前半ではドップラーのカジルダ幻想曲がフルートの独擅場。後半のテレマンは、ファゴットのトゥルコヴィッチさんが、バロックの香りの手本を示してくれたような演奏。こういうのはやはりウィーンの演奏家はいいなあと思ってしまう(勿論ウィーンの誰でもそうではありませんが)。

 モーツァルトのフルートソナタはK14だから、多分8歳ぐらいのときのもの。もともとクラヴィーアとヴァイオリン、またはフルートのためのソナタ。この年にはモーツァルトはパリで最初の公開演奏会を開き評判になった年。作品1(K6,7)もこの年に生まれている。なんとなく父親の手が入っているのではないかという気はする。メロディーは既に独自の香りが漂っているが、ハープ、つまり伴奏のクラヴィーアのところが若干モーツァルトっぽくない。それでも演奏はとてもよく流れていて楽しめた。最後のラベルは圧巻。こういう曲で圧巻というのは場違いな言葉だけれど、総てにすぐれて心から楽しめるとこの言葉以外に言葉が見つからない。

 おしまいに音楽とは別の話。ハープは演奏前に調律がいる。狭いスペースで舞台があるわけではないので、お客様のいるところの極近いところに出て来て、吉野さんは調律をする。舞台衣装のままだが、そのままではなく肩に薄いショールを巻いて「本番とは違う」という姿をきちんと演出する。そのショールもまたとても品の良い感じで、その場にとてもマッチした感じを演出する。音も姿も総てを最上のもので表現できるのだなあと、最初の感想に到った演奏会なのである。

(松井孝夫)