今までのコンサートの記録

第100回コンサート
ルイス・クラレット チェロリサイタル <100回記念スペシャル=その1>
LIUIS CLARET Cello Recital
2002. 9. 7(土)
Sat.,Sep.7.2002
プログラム
J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第2番 ニ短調 BWV.1008
J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第3番 ハ長調 BWV.1009
J.S.バッハ: 無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV.1012
コンサート寸評

この度のASO百回記念コンサートについて、オーナーである大橋さんご夫妻に、感謝の意を聴衆の一人として表したい。

 ここで大橋さんが行ってきたこと、そのアイディアは、まさしく音楽の原点だと思う。しかも、聴衆はもちろん、演奏家にとっても“事件”だったのではないか。それは、ヨーロッパで延々と育まれてきた音楽文化の具現とも言える。“シューベルティアーデ”という言葉があるが、シューベルトの音楽はごく近くの支える人々の間で生き残った。またシューベルトも自分のアイディアをその人々に啓発されながら紡ぎ出していった。一種のサロンである。そのような、演奏家と受け手の恵まれた関係をASOは創り出したと強く感じる。

ASOのような、収容人数が百人規模の小さなスペースでは、奏者は聴衆のごく間近にいる。しかも舞台と観客席の境目が無い。従って同じ高さにいる。奏者の息も聞こえる。例えば、超一級のソリストが楽章の合間にお客さんにちらりと目をやる。お客さんの目に逢う。喜んでいる目だ。その目ににやりと合図を送る。演奏家もわかってくれるお客さんに触発されて更に気が乗ってくる。そういう関係が生まれる。また、聴衆の動きやざわめきも演奏者に即座に伝わる。ある種の意志交換が起こるスペースなのだ。

 そして聴衆はいかに表現者が高い才能と技術をもって、天才のメッセージを再現しているかを目の当たりにする。それは聴くという行為よりは、目の前で見るという感じ。これは音楽を楽しむ者にとって最高の環境と言える。また、多くのここに登場したアーティストたちが、実際に、“ここのお客さんはどういう人たちなんですか?”と聞くことがある。何か違うものを確実に感じ取るのである。私も長いホール通いの経験から、確かにお客さんの反応によってその日の出来具合が変わることを、大きなホールでも多く経験している。しかしその頻度はここの比ではない。一種の音楽工房であり、奏者と聴衆の対等の出会いの場なのである。しかもASOに登場するアーティストたちは伊達ではない。大橋さんがこの人ならと思うアーティストを中心にしている。世界超一級レベルの演奏家たちがきら星のごとく並ぶ。それを享受できる我々は本当に幸せというもの。その出会いをプロデュースするには、いかに大橋さんが演奏家の心をつかんでいるか、ということである。一般的にたいへん気難しいといわれている演奏家も、ここではそんな感じにはならない。演奏家にも大切にしてもらっているスペースだということを強く感じる。

また聴衆同士もここでの出会いが起こる。常連さんは音楽の楽しみ方も本格的な方々が多い。そこでのちょっとした話なども奥深い内容のことが多い。楽しみ方も極めて幅広い。これもASOに集う要因の一つ。お客様自体も魅力的な会場なのだ。

さて、このような至福の演奏会が今回百回を数えた。これは最初にも言ったように、本当に素晴らしい“事件”だと思う。名プロデューサーがいて初めて出会える事件である。そしてもう一つ、この音楽会のバックを支える奥様。ごく自然にすべてを過不足なく支えていらっしゃる。これは実際に舞台運営を知っている人なら驚愕に値する名サポートである。

心よりブラボーをご夫妻に捧げたい。

(2002.9.7  松井孝夫)