ASO第140回 「プレアデス・ストリング・クァルテット」(4)コンサート
前回のプレアデスSQの演奏を聴いて、「変貌する予感」なる感想を書いたが、今夜まさにその現場に立ち会ってしまった。ジュリアードやアーバンベルクなど、世界レベルのカルテットをいつも身近に聴くことはなかなか出来ないという時代もいよいよ過去のものになろうとしている。最近のトリトンホールでの弦楽四重奏シリーズなどもそうだが、日本のカルテットのレベルは大変なものになっていると思う。プレアデスSQもそのひとつで、カルテットという4人でひとつの楽器が練りあがっていく時に、一人の作曲家の作品を通していくことの中で育まれるものがいかに大切か、それを目の当たりにした。もちろんプレアデスは凄腕のメンバーなので当然のこととは言えるが、カルテットが成熟していく時に、聴衆として時間をともにできるということは本当に幸せな瞬間だと思う。
今宵はベートーヴェンの弦楽四重奏全曲演奏シリーズの第4回目。曲目は、弦楽四重奏曲第7番(ラズモフスキー第1番)と13番、そして大フーガ。それぞれが単独でメインプログラムになる曲が三つ。ベートーヴェン中期の傑作“ラズモフスキー”は、カルテットの超絶技巧を目指したもののようにいつも思うが、13番・大フーガになると、難曲である以上に全く違う精神世界に入っていく感じがして、演奏者には大変なプログラムだと思う。その一つ一つに、プレアデスが丹念に、また真正面から音楽を紡ぎだしていく。とりわけこのところ音色が一段と磨きがかかって、更に音楽への深みや推進性が高まっている感じがする。第7番は3楽章あたりからうねりの中に引きずり込まれ、13番の6楽章構成という大きな構えの難曲では、強い精神力を漲らせた完成度の高い演奏に圧倒された。そしてなんといっても大フーガ。ベートーヴェンのひとつの到達点ともいうべき宇宙を、気・音・間、総てを満たして会場の空気を揺り動かす演奏だった。ご存じのように、この大フーガは、そもそも13番の終楽章として書かれた。今でも難解に聞こえるこの曲は当時としたら音楽として受け入れられない人も多かっただろう。珍しくベートーヴェンも改訂に応じて終曲を書き直したのが現在のもの。演奏後ヴィオラの川崎さんにお話を伺っていた折、「後半の2曲は最終楽章を2度やるようなもので大変だ」、と仰っていた。また、「カルテットにはここのホールぐらいのキャパシティーがちょうど良いし、音もいい」とも。室内楽なのだから、いわゆる“室内”がいいに決まっているが、カルテットがお互いの音を確かめ合って、曲を組み立てていく時にはとても大切なことだと思う。ともあれ、ベートーヴェンを心から味わったコンサートだった。今後ますます聞き逃せない。